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糖尿病教育関連・各種活動

安田 佳苗 先生

(やすだ かなえ)
― 糖尿病診療との末長いおつきあい ―
2016年12月 掲載
所属:
土屋クリニック (葛飾区個人クリニック)
自己紹介と家族の紹介:

父は岐阜県出身の歯科医。母は京都出身、東京芸大卒のソプラノ歌手で音大講師でした。私は3人兄弟の長女で、弟、妹はそれぞれ外科医、眼科医です。

葛飾区で生まれ、小学校入学時以来、市川市在住。

中高一貫の女子校から東京慈恵会医科大学に。卒業後、附属の大学病院勤務中に、 32 歳で結婚、 34 歳で長男、 36 歳で次男を出産。糖尿病専門医の主人は、長男誕生時から国立国際医療研究センターの研究所勤務で、基本公務員もどきの生活です。

安田 佳苗 先生
子供達が 10 歳・ 8 歳の時のもの

現在、高 1 ・中 2 になった子供達は、まさに食べ盛り。都内の中高一貫校に 1 時間半かけて通学し、テニス部で 1 年中真っ黒です。週末も部活、夏休みに旅行を計画しても、部活だ塾模試だラーメン屋だとつきあってくれない時には、ああ女の子だったらなあ、と思います。写真は子供達が 10 歳・ 8 歳の時のもので、今は写真を撮ると言うと逃げ回る彼らにもこんなに無邪気な頃があったのかと、感無量なので選びました。

1日のスケジュール:

5 時半起床、半分ねぼけたまま朝食と 2 つのお弁当を作り、 6 時に 3 人を起こし、せき立てながら 6 時半に送り出します。日によって出勤時間が違うので、その日にできるだけの家事(洗濯掃除など)をして出勤。帰宅も色々ですが、大体 18 時 ~ 19 時。バタバタと夕食の支度をし、翌日の準備までは流れるように進み、自分が入浴して寝付くのは 12 時前後。なぜか慌ただしい毎日です。

糖尿病を専攻した理由:

2 年の初期研修の後、当時の第三内科に入局しました。花形に見えた血液内科にも憧れましたが、最終的に 阿部 正和 先生からの伝統ある糖尿病研究室(現 糖尿病内分泌内科講座)に入ったのは、当時講師だった 田嶼 尚子 先生に、 1 型糖尿病患者の疫学を一緒にやらないかと誘われたのが大きな理由でした。 田嶼先生 から見せて頂いた DERI の資料の全国の 1 型の死亡例カルテの中に当時の自分と同年齢の患者が多いのに驚いた事、疫学は全く無知でしたが、臨床研究をするためには必須の思考手段だと気付いた事、そして何より 田嶼先生 がとても魅力的な指導者だと思ったからでした。

その後のキャリア:

大学病院で入院・外来を担当しながら、研究では、田嶼先生、 松島 雅人 先生のご指導のもと、疫学の英語教科書を読んだり、 DERI の地味な事務仕事をしたりしました。その後、出張先の病院で骨粗鬆症の臨床研究の予算が貰えたので、「糖尿病・骨粗鬆症・VitD3」で博士論文を書き、これがご縁で腎臓内科に出入りするようになりました。さらに 宇都宮 一典 先生にお願いして、大学病院内の透析室に半年間出向という形で勉強に行かせて頂けたのは、腎不全の管理も学べ、大変貴重な経験でした。長男を出産して育休の 1 年後、通常病棟勤務は無理だと思い、当時、臨床研究開発室に移られていた 松島先生 のもと、総合診療部の外来を週 1 回させて頂きました。その頃、主人が結婚前後に勤務していた朝日生命糖尿病研究所に見学に行く機会があり、完璧な糖尿病教育入院とコメディカルの質の高さに驚き、是非ここで外来がやりたいと 羽倉 稜子 先生に申し上げ、 羽倉先生 の外来に 3 ヶ月ついた後に考えましょうと言う事になりました。これは予想以上に感動的な体験で、とても勉強になりました。その後朝日で外来をさせていただきましたが、間もなく次男の出産となり、大学のほうも退局することになりました。それまでに病棟や専門外来で経験した患者さん達(足の壊疽で切断を繰り返した A さん、治療中断後に尿毒症症状で入院した 20 代の 1 型糖尿病 B さんなどなど)は、非常に多彩でした。多くの症例を印象深く覚えています。糖尿病専門医の試験は、長男出産前に主人と一緒に受けたのですが、提出する症例には全く困りませんでしたし、その後、指導医も取得することができました。

現在は糖尿病外来の非常勤と一般内科の非常勤を掛け持ちして勤務しており、勤務日数は子供達の受験期に一時セーブしたものの、現在、週 5 日に増えました。

現在感じていること:

子育ては生活の中で大きな比重を占め、とくに幼少期は無我夢中でした。振り返ると本当に綱渡りで、多くの人達に支えられて今があります。二世帯同居で二階に住む母(教育方針など意見の対立もしばしばでしたが)。子供達が母以上に慕っていたシッターさん達。そして家事も教育も分担してくれる主人。

子供達が中学生になって、子育てもほっと一息、と思った時、自分が 50 歳にななったことに愕然としましたが、おめでたい生誕 50 周年と思うことにしています。伊能忠敬は 55 歳で日本地図の旅に出たそうです。寿命が延びた現在はもっともっとこれから、があるはず。同世代次世代の女医さんや、子供のママ友にも活発な方がたくさんいて刺激になっています。これまで出来なかった事を積極的にやっていけたらと思います。

そして何より、日々の糖尿病外来で、私は診察を通して患者さん達の人生に触れ、今でもさまざまな驚きや感動があります。それが糖尿病診療の醍醐味ですし、私の活力源でもあります。尊敬できる女医の大先輩のご指導を受け、また人生の中で勤務形態を変えながらも、こうして糖尿病という奥深い領域を続けられることを、本当にありがたいと思う毎日です。

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