The Japan Diabetes Society

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佐藤 麻子 先生

佐藤 麻子 先生

(さとう あさこ)
― 多くの人に育てられ助けられ ―
2015年12月 掲載
所属
東京女子医科大学 臨床検査科/糖尿病センター(兼務)
自己紹介
明るく健康。趣味は車・スキーなどスピードの出ること、美しいものを鑑賞したり、聴いたりすることです。
糖尿病を専攻した理由
設備のないどんな所でも診療ができる内科医になりたくて、病域が一番幅広いと思われた糖尿病を専攻しました。
キャリア
大学卒業後、東京女子医科大学糖尿病センターに入局し、2年間の内科研修期間を経て、糖尿病センターに帰局しました。研究は主に心エコーを用いて糖尿病患者における心疾患について行ってきました。病棟主任を連続6年間勤め、1995年から3年間ステノ糖尿病センターに留学しました。帰局後、病棟長、医局長、外来長、病棟長と糖尿病センターの病棟管理や医局業務に携わってきました。2007年からは臨床検査科との兼務となり、糖尿病関連検査指標の標準化などの事業に携わり、2008年からは臨床検査科が本務となっていています。
現在感じていること
 
佐藤 麻子 先生
 

早いもので、医師になり30年以上の月日が経とうとしています。この間、私が仕事を続けて来られたのは、ずっと良い上司や先輩、友人に支えられてきたからだと思います。

医師になり最初の研修医時代は、早く一人前の医師になりたい気持ちが強く、信頼できる先生を探し、昼夜、休日を問わず教えを請いました。幸い、東京女子医科大学には各科にスペシャリストが揃っており、この間に多岐にわたる知識や技術が体得できました。2年の研修後、いよいよ糖尿病センターでの研修が始まりました。平田 幸正 教授が開設した糖尿病センターは、糖尿病を集学的に診ることのできる唯一のセンターでした。平田先生の患者さんと真摯に向き合う姿に医師としての誠実さを学びました。さらに、糖尿病センターでは糖尿病のサブスペシャリティーとしての研究が始まりました。当時は糖尿病研究といえば慢性合併症の研究がメインであり、私の選んだ「糖尿病と心疾患」はすき間産業的存在でした。指導者もいない中、暗中模索の研究が始まりました。しかし、力強い先輩の 荷見 澄子 先生のおかげで論文を完成、無事に学位を取れました。

病棟患者さんの治療に、研究に、目の前の仕事をこなすだけで精一杯の無我夢中の日々が続きました。そんななか、思いも掛けない転機が訪れます。当時の主任教授 大森 安恵 先生より、留学を勧められたのです。そんなに長く大学にいるつもりはなかったし、研究に人生をささげるような大志もなった私には青天の霹靂でした。しかし、大森先生は悩み続ける私の背中を半ば強引に押してくれました。その後のデンマーク留学は、私の人生の中で最高にすばらしい3年間となりました。手探りで行っていた研究も、パービング先生という師を得ることによって、少しは自信が持てるようになりました。なにより、北欧の個人主義を中心とした文化や男女平等に触れることができ、その後の人生に大きな影響を与えることとなりました。

帰国後も思いがけないことは続き、グリコヘモグロビンの国際標準化の仕事に携わる機会を得、さらにそれをきっかけに主任教授の 岩本 安彦 先生の推薦で臨床検査科に籍を移すこととなります。初めは、検査科の慣れない仕事に戸惑いました。素人同然の私に検査技師の皆さんが辛抱強く、色々なことを教えてくれて、やっと慣れてきたところです。

元来、頼まれたことは断れない性格で、与えられてことを精一杯やってきた人生であったと思います。そこで得た教訓は「いやなことこそドップリ浸かれ」です。自分には無理だと思うことにも逃げないで立ち向かうことで、少しずつ成長してきたような気がします。まだ、医学の世界は男性が中心の社会とはなっていますが、何が起きても、目の前のことをこつこつと続ける、女性ならではの柔軟性と粘り強さで仕事をすれば、男性にも負けない成果が得られると思います。私も多くの女性医師に助けられてきました。皆さんもお互いに支え合い頑張っていきましょう。

更新:2015年12月17日