大野 晴也(Haruya Ohno)

所属
広島大学病院 内分泌・糖尿病内科 講師
もう10年以上も前になりますが、私は2011年5月から2013年6月までの2年間、アメリカのカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)、糖尿病センターに博士研究員として留学させて頂いていました。
研究室主宰者である梶村真吾先生は、もう今では脂肪細胞研究分野においては知らない人はいないほど有名な先生になられていますが、当時UCSFにいらっしゃる前はハーバード大学のBruce Spiegelman先生のもとで、数々の輝かしい研究をご発表され、ご自身の研究室を立ち上げようとされている頃でした。同じ時期にボストンに留学されていた私の同門の先輩の亀井望先生からのご紹介もあり、私がファーストポスドクとして梶村先生と一緒に働かせていただく機会に恵まれたことは、今振り返ってみても大変幸運なことであったと思います。研究室立ち上げ当初は細胞培養室もなく、大腸菌用の恒温培養機や冷蔵庫、遠心機などを立ち退きになった古いラボから貰ったり、基本的な化学薬品からPCRチューブにいたるまで、必要な物品をリストアップして注文したりしていました。ラボ立ち上げから3か月程度した頃より細胞培養からマウス飼育まで、ひと通りの実験を自分たちの研究室で行うことができるようになり、その後はひたすら実験を行う毎日でした。

サンフランシスコは、カリフォルニアという温暖なイメージのある州にありながら、半袖で過ごせる日は1年のうちに数えるほどしかない非常に冷涼な地域です。日中は比較的温暖で過ごしやすいですが、夜になると風も強くなり夏でも外套なしで外を歩くことは困難です。梶村研究室では、このような寒冷刺激に対抗して熱を産生する熱産生脂肪細胞の分化制御に関する研究を行っていました。毎日の実験は、ネガティブデータが続いて何度も条件検討を行ったり、多系統のマウスを同時に大量にハンドリングしたりと、決して楽だったとはいえないものでしたが、それでも実験だけに没頭でき、世界中から集まった一流の研究者たちに囲まれて、垣根低く専門的で的確なアドバイスがもらえる環境は大変働きやすく、日々の研究を心から楽しむことができていました。「論文の準備段階では全速力で走り続けなくてもいい。ただ、論文投稿後にリバイスにひとたびかかれば、限られた時間の中でreviewerとの戦いに全力で立ち向かわないといけない」という、特にハイインパクトなジャーナルに投稿する際の、緩急をつけた実験の進め方も印象的でした(リバイス中は本当にきついのも確かです)。梶村先生からは、「本当に重要な実験を見極め、その壁を超えることに全力を傾ける」、や「よい研究をしていればお金は後から自然についてくる」など、研究に関する様々な哲学も教えていただき、それらは今の研究生活においても迷った時に先を照らす大切な道しるべとなっています。
留学中の海外での生活は、私たち家族にとっても一番大切な思い出になっています。運転免許の実技試験に落ちてDMVに何度も通ったり、一番近い小学校に子供を入学させるために、何度も市の教育施設に通ったり、日本に住んでいる時とは全く違うことに悩まされたりすることもありますが、文化の違いを肌身をもって感じられることは子供にとっても大変貴重な経験になります。ワイナリーや国立公園、テーマパークを巡った時の写真など、今でも定期的にモニターなどで見返しては、また近いうちにサンフランシスコに遊びに行きたいねと思い出話に花を咲かせることも、家族の定例行事になっています。
また留学は、帰国後の人間関係も豊かにしてくれることも確かです。同じ時期に留学していた研究者の先生とは、たとえ研究分野が全く違っても今でも定期的に交流して刺激を受けていますし、留学先も時期も全く違う先生とも、留学あるあるの苦労話などをきっかけに親しくさせていただくことも多いです。私自身は、研究テーマにも恵まれ、とても幸運な留学生活を送ることができたと感じておりますが、思い描いた通りの留学生活を送れなかったと感じておられる先生とお話をしても、留学自体を後悔されているというお話を伺ったことは一度もありません。なんらかの重要な経験を得て帰られています。若い先生は、もしチャンスがあるのならば、物怖じせず、是非留学を志してみてはと心から思います。
最後になりましたが、留学に際し快く背中を押してくださり、また帰学のタイミングに関してわがままを受け入れてくださった歴代グループリーダーの山根公則先生、中西修平先生、米田真康先生、そして留学の機会をくださった亀井望先生をはじめ、たくさんのご支援いただいた方々にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
更新:2024年7月16日
※所属は掲載当時のものです