安原 みずほ(Mizuho Yasuhara)

私のストーリー
所属
松江赤十字病院栄養課
管理栄養士を目指した理由
勤務時間は1日8時間。24時間のうち、8時間寝るとしたら、起きている時間の半分は仕事、それなら好きなことを仕事にしたいと思い、職業を考えました。幼少期から食に興味があり、徐々に栄養にも興味を持つようになりました。高校生の頃、「高齢者の多い島根県で活躍するには」を考え、食と人に関わる病院管理栄養士の道を選びました。
最初から糖尿病チームの一員
大学卒業後すぐに松江赤十字病院に就職し、早速4月から糖尿病のチーム医療に参加させてもらいました。当時の国家試験は5月で、働き始めは受験前の栄養士でした。合格発表は6月で、県庁前の掲示版や地元新聞紙に名前が掲載されました。今では考えられないですが、広く地域内に公表されたことで、緊張感や責任感が芽生えたように記憶しています。
「患者さんから学びなさい」と指導を受けました。病棟で、患者さん同士の雑談に参加したり、夕食後の落ち着いた時間にも訪問しました。日中は明るい様子でも、夜になると思い悩んで落ち込む姿も何度も見ました。顔を覚えてもらえると、食事の相談を受けることが増えました。今は、入院期間も短くなり、雑談をするゆとりがありません。また、ボランティアであっても業務時間外の訪問は好ましくないと思い、控えていますが、若いころに体験したこと、感じたことは大切にしたいと思っています。
他職種からの学びも多く、チームメンバーとしての日々は楽しいものでした。カンファレンスの時間だけでなく、思いついた時に相談ができる関係が出来ていました。そのうち、CDEJや島根県CDEの制度が整い、資格取得が目標になりました。
CDEでもある管理栄養士
CDEJと島根県CDEを取得・更新し、知識と仲間が増えました。その強みを大切にしながら、食事療法の支援力を向上させたいと思っています。今は、島根県CDEの研修委員として、後進の育成にも携わっています。CDEであることに誇りを持ち、楽しく活動ができる仲間の輪を拡げたいと思っています。
小児糖尿病大山サマーキャンプの栄養士
初めて参加した1996年、“さくらもち”と名付けられ、その後ずっとそう呼ばれています。子どもたちから親しまれやすいためですが、スタッフ同士もお互いにキャンプネームで呼び合います。聞くと反応するほど自分の名前になっていて、和菓子コーナーにたくさんの桜餅が並ぶと、私の季節が来たなと眺めます。
キャンプは7泊8日。毎年ほぼフル参加です。参加5年目くらいから約20年、5歳から中学3年生までの子どもとスタッフ合わせて約100人分の献立作成と調理を担当しました。
コロナ禍では、集合型キャンプの開催が叶わず、オンラインでのイベントを行いました。中でも力を入れたのは調理実習でした。いつものキャンプと同様に、食の大切さと楽しさ、そしてオンラインでもみんなが繋がっている安心感を伝えることができたと思っています。

今は、利用施設の栄養士さんのご協力があり、希望を取り入れて準備してもらっています。厨房業務から離れ、子どもたちと過ごす時間が増えました。令和のキャンプの栄養士像を模索中です。
ワークとライフのバランス
起きている時間の半分は働き、残り半分は遊ぶ予定でしたが、簡単には切り分けられません。糖尿病のある方やその家族から教わった料理を自宅で再現したり、買い物では栄養成分表示を見て、「今度これを教えてあげよう」と資料づくりの参考にします。休日の学会や研修会への参加、サマーキャンプの準備、すべてがワークでありライフであり・・。ワークとライフが混在する、社会の推奨からは逸脱した日々を送っています。イメージは明るいマーブル模様でしょうか。この感じが、私の好きな私のバランスです。
終わりに
食事は本来楽しいものですが、「食事療法」と聞くと、窮屈な印象に変わります。会話の中に、たまに笑いを混ぜてみるのですが、素人です。話術も磨きたいです。食事のことなので、笑顔で話せる場面もありますが、辛さを伴うこともあります。不適切な対応にならないよう、そして「また会いたい」と思ってもらえる管理栄養士でありたいと思っています。
更新:2023年12月26日
※所属は掲載当時のものです