杉本 友紀(Yuki Sugimoto)

所属
慶應義塾大学病院 看護部
自己紹介
私は看護師になって23年目になります。ひとりの生活者として患者を支援する糖尿病看護に深い興味をもち、『自分により多くの知識があれば患者さんの自己管理の負担を少しでも軽減できるのではないか』という思いから、糖尿病療養指導士、糖尿病看護認定看護師の資格を取得しました。現在は外来を中心に院内で横断的な糖尿病看護実践を行っています。プライベートでは小学4年生、5年生のふたりの娘がいます。

思い描いていた将来と真逆の現実
私の将来の夢は『お母さんになること』でした。結婚してこどもができたら仕事を辞め、幼稚園や小学校から帰ってくるこどもを迎えておやつを出してあげて…ずっとそんな将来を思い描いていました。それはきっと自分の母がそうしてくれて、学校から帰ってきたら母が家にいることが少し自慢だったからだと思います。
しかし現実はというと、妊娠しても退職することは考えず、産前休暇に入りました。長女の育児休暇中に次女を授かり、合わせて2年半の育児休暇を取得しました。ずっとこどもと一緒にいられる、こどものためにたくさんの時間を使える日々はとても幸せで、貴重な2年半でした。保育園生活が始まり、先生に預けるときにこどもが大泣きし、私も帰り道で涙が止まらなくなることもありました。しかし、仕事復帰してみると、そこには母親役割以外の自分の社会があり、働くことに今までとは違う新鮮さや楽しさを感じるようになりました。
はじめて仕事をやめようと思った出来事
その後、私を待っていたのはこどもの体調不良の連続でした。ひとりが熱を出し、治りかけたところでもうひとりが熱を出す…その繰り返しで、今月は何日ふたりそろって保育園にいけたのだろうかと数える日々が続きました。そのたびに母と義母、叔母が支援してくれ、感謝する一方で、自分は仕事に行き、こどもの看病もしてあげられないことを責める気持ちもありました。そんななか、長女が3歳の誕生日に熱を出し、家で簡単なお祝いをしてから夫の実家に預けることになりました。翌日仕事と保育園に行く私と次女で長女を見送ったことは、いちばんつらい出来事でした。『具合も悪い、しかも誕生日にも一緒にいてあげられない、もう二度とこんな経験をさせたくない』と、はじめて仕事をやめようと思いました。友人に相談したり、幼稚園の見学にも行きましたが、決断ができず悩んでいたときに叔母が「誰かのためじゃなくて、自分でやりきったと思えるまで仕事を続けた方がいいんじゃない」と言ってくれました。『私はまだ何もできていない、もう少し頑張ってみよう』と思い、続ける覚悟を決めました。
次女が3歳になるまで育児時間をもらい、こどもと少しでも長く過ごせる時間を作りました。その後、糖尿病看護認定看護師としての活動も徐々に再開し、現在まで慌ただしくもとても充実した毎日を過ごしています。
おわりに
最近は帰りが遅い日、休日の出張や家で仕事をすることも多くなり、こどもたちにさみしい思いをさせているかもしれません。でもその分、私にもできることを見つけていこうと気持ちを切り替え、授業参観や学校行事のフル出場を目指し、小さなことですが連絡帳や音読カードはサインではなく手書きのイラストを描くことを頑張っています。
この年齢になっても、学ぶべきこと、たくさんの素敵な出会いがあり、自分を成長させてくれるこの仕事を続けられること、糖尿病看護に出会えたことをとても幸せに思っています。これからも私を支えてくれる家族をはじめ周囲の方々への感謝を忘れず、ひとりでも多くの患者さんの力になれるよう、日々精進していきたいと思っています。

更新:2023年12月26日
※所属は掲載当時のものです