本田 寛人(Hiroto Honda)

所属
四條畷学園大学リハビリテーション学部 准教授
自己紹介
出身は佐賀県唐津市です。小中高は野球に没頭し、高校最後の夏の県予選では、第1シードの高校に勝つことができました(次の試合でコロッと負けました―スラムダンク症候群?)。今でもたまに草野球をしています。メジャーリーグも現地で数回観戦し、とくにボストン・レッドソックスの本拠地であるフェンウェイ・パークを訪れた際(ADA2015にて)は感激しました。
現在は兵庫県在住で、野球好きのせいか某球場のある市に住んでいます。高校卒業後に関西に出てきて、ついに佐賀と在住期間が逆転しました。住み心地はよく、ここでの生活を大切にしていきたいです。
理学療法士を目指した学生時代
私は高校2年生の秋まで建築士志望でしたが、部活動を通し人体の構造や動作に興味を持つようになり、理学療法士への道に進路変更しました。入学以来ずっと建築士志望だったため、当時の校長先生に「何で変えた?」と何度も尋ねられたのを覚えています。
その後、神戸大学医学部保健学科に入学し、理学療法について学びました。神戸大学は一学年の定員が20名、全学年が揃っても80名であるため、他学年との交流が盛んでした。今でもその繋がりは切れることなく、様々な場面でお世話になっています。
糖尿病との出会い
大学3年生のときに、兵庫県小児糖尿病サマーキャンプに学生ボランティアとして参加したのがきっかけで、糖尿病の世界に足を踏み入れました。当時は1型糖尿病の子供達の実態をよく知らず、自分にうまくサポートできるのかと不安だらけで参加したことを今でも覚えています。大学卒業後は、医療スタッフとしてキャンプに参加しています。このキャンプを通じ、医療者だけではなく、キャンパーやキャンプのOBOGを含め、多くの友人ができました。

豊岡市での生活
2010年、兵庫県豊岡市にある公立豊岡病院日高医療センターに入職しました。そこでは、井垣誠理学療法士(現・日本糖尿病理学療法学会理事長)に師事し、院内での活動や臨床研究に励みました。また、日高医療センター在籍中に、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程に進みました。ご指導いただいた林達也先生とつながったのも、井垣氏にご紹介いただく形でした。ここでの経験がなければ、今の私は存在しません。
そして、公立豊岡病院組合関連病院のスタッフの皆さんには、職種に関わらず公私にわたり面倒をみていただきました。一人暮らしを心配して、野菜や魚などもたくさんいただきました(時にはズワイガニも)。慣れない雪には苦戦しましたが、楽しい7年間でした。
大学と臨床
2017年に日高医療センターを退職し、藍野大学を経て、2021年より現在の四條畷学園大学に勤めています。学生教育の中で、糖尿病療養支援に関する講義や実技体験も行っています。また、週に1回、かがやき糖尿病内分泌漢方クリニック新神戸院(兵庫県神戸市)にて運動支援に従事しています。
これから
今は大学勤務が主ですが、患者さんとの継続した関わりをこれからも大事にしていきたいです。私は、前述のサマーキャンプのほか、兵庫県の糖尿病ウォークラリーや1型糖尿病患者会(DMF KOBE)の企画・運営などにも携わっています。DMF KOBEでは、参加者とざっくばらんな話をして交流し、私自身とても貴重な経験ができています。これらはコロナ禍で活動が制限されていましたが、ようやく前進できそうです。こうした繋がりを大切に、患者さんと運動について気軽に”相談し合える”ことを意識して、日々の業務や活動に励みたいと思います。
更新:2023年8月3日
※所属は掲載当時のものです