村上 雅子(Masako Murakami)

―患者さん、スタッフの皆さんに支えられ教えられて―
所属
静岡赤十字病院 糖尿病内分泌代謝内科 部長
社会医療事業部長、医療連携推進室長 兼務
資格
医学博士 (浜松医科大学:ステロイド代謝の研究)
日本内科学会 認定医・指導医、学術評議員
日本内分泌学会認定 内分泌代謝科専門医・指導医、学術評議員
日本糖尿病学会認定 糖尿病専門医・指導医
1日のスケジュール:
- 外来診療日(週 4 日)
8 時過ぎ ~ 8:45
病棟患者さん負荷試験~回診
8:45 ~ 14:00 前後まで
外来診療
15:00 ~
毎日病棟で研修医と入院患者のカンファレンス - 火曜午後:
甲状腺 PEIT 治療 - 木曜午後:
病棟、入院患者チームカンファレンス - 18:30 ~
臨床研究、医師会関連の研究会、講演
糖尿病を専攻するに至った経緯:
医師を目指したのは、幼少時から尊敬してきた父親が勤勉な内科医で、母方にも古くは御典医を務めるなどの先祖が居たらしい事等、身近な職業であったことと、また生涯新しい事を常に学んでゆける職業であろうというふうに感じていた事にあります。
最初の研修時期は、まず内科全般をローテーション出来る比較的新しい浜松医科大学を選びました。研修が終わる少し前、内分泌内科を専門にする医師は相対的に少なく、私でも頑張れば研究のテーマを頂けたり、その後の臨床に反映できる分野ではないかという期待を持ちました。当時の教室の 吉見 教授に内分泌をやってみたいと話すと、それは良いと喜んで、研修後は研究もやって見ると良いと言って貰えました。直ちに、東大第 3 内科内分泌御出身の 宮地 幸隆 先生が当時部長として在職される県内の病院に勤務する命を頂き、そこで内分泌の勉強のおもしろさ、臨床のやりがいなど大変多くを学び、ひたすら内分泌を知りたい思いでゼロから必死で勉強を始めました。その後浜松医大ではステロイド代謝の研究で学位を頂き、留学から帰国すると、大学には京都大学から糖尿病研究における最先端の先生方が着任されており、今後は内分泌に加え糖尿病グループで勉強して行くご指示をいただきました。その後赴任先の病院では、まずは指導者の下で糖尿病臨床の研鑽を積みました。平成12(2000)年から現在の静岡赤十字病院勤務の指示を頂きましたが,市内の 4 − 5 つの基幹病院の 1 つながら、驚いた事に専門医はほぼ不在の経緯で、内分泌代謝科も無く、院内外でも専門診療は不充分な状態からスタートしました。内分泌代謝、糖尿病教育入院の主な病棟すら無く、CDE不在、チーム医療も縁がない状態で、専門外来診療にも困り、まさにゼロから孤軍奮闘で、まず診療科の立ち上げから開始しました。看護部にはチーム医療に看護部がいかに重要で必要とされる立場であるかを院内で講義をし、決して追い風ばかりでは無い中で、病棟にベッドをじわじわ確保し、患者さんの期待に答えられる専門診療をたった一人で始めました。徐々に院長はじめ皆様の御理解とご支援を得て、患者さんに必要とされるチーム医療の充実に努力しました。認定施設ではなかった当院に、一から条件を取り揃え、漸く施設認定を得るに至ったものです。
一方内分泌疾患では、専門外の診療では診断に至っていない潜在する珍しい症例が次々と見つかり、各種学会報告に常時事欠かない程に症例に恵まれて、糖尿病診療と両立出来ている様に感じています。

(向かって左端が本人)
地域医師会との医療連携においても、研究会での活動でも、微力ながら盛り沢山の仕事に恵まれているのも、内分泌、糖尿病の両分野を専門としてきた故かと感謝しております。加えて市内近隣の基幹病院には主に京都大学から本分野のリーダーとなる精鋭かつ尊敬する諸先生方が身近におられ、グループの末席において、貴重で暖かいご支援を頂き、常に多くを学ぶすばらしい環境に恵まれて来たことに深く感謝しております。
今後も病院内外の先生と連携を図り、糖尿病、内分泌代謝領域において少しでも多くの患者さんの力になれるような診療体系を充実させ、行ってきた臨床結果を研究としてまとめ、実臨床からの発信も行い、地域の基幹病院のひとつとして、責務を果たして行きたいと思っている所存です。
浅学で万事不行き届きな私を、これまで許し、支え補って下さった院内外の尊敬する諸先生方、スタッフの皆様、何より私にいまだに多くを教えてくれる患者さんの一人一人、道を開いてくださった 吉見 輝也 教授、内分泌の魅力を示して下さった今は亡き 宮地 幸隆 教授に深く感謝し、微力な女性医師ながら今後も情熱を持ち続けて出来ることを拡げる努力をしていきたいと考えております。
更新:2017年2月28日
※所属は掲載当時のものです