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それぞれのストーリー

田嶼 尚子(Naoko Tajima)

田嶼 尚子(Naoko Tajima)

ガラスの天井―Girls, be ambitious―

所属

東京慈恵会医科大学 名誉教授

 自分の将来の進路を決めるときに、いろいろと思い悩んだという記憶が私にはない。太平洋戦争中に母の実家がある北海道美唄市で 3 人娘の次女として誕生し、戦地から戻って外科医院を開業していた父の背中を見て育ち、「お父さんみたいなお医者さんになる」とごく自然に思っていた。お酒に酔った父はしばしば娘たちに “Girls, be ambitious!” と話しかけた。明治 9 年( 1876 年)アメリカから招かれて札幌農学校で教えた ウイリアム クラーク 先生の言葉は “Boys, be ambitious!” だが、父は “Girls” と言い換えて娘達を励ましてくれた。

田嶼行平.クラーク像とその作者 ~わが父碩朗のプロフィール~
東京エルム新聞(北大同窓会新聞) 昭和50年8月10日

 父方の祖父は今も北海道大学の構内にあるクラーク先生の胸像の作者。父も北大卒なので、ことの他この言葉を好んでいた。「これからは男も女も区別する社会ではなくなる。少女だって大志をもたねばならない」と教えられた。私は、その頃から別の選択肢もあるなど深刻に考えず、ごく自然に将来は医師になるのだと決めていた。まして女性だから医師に向いていないなどとは考えてもみなかった。幸い願いが叶って医学生となり、医学の様々な領域を覗き、多彩な側面を見聞する間に内科学を志向し、糖尿病学を専攻する自分を見出していたと言ったらよいだろう。

 なぜ糖尿病を選んだのか。これは明白である。母方の家系は糖尿病患者であふれていた。曾祖父は69歳のとき糖尿病性腎症で亡くなった。祖父は毎朝、注射器と針を熱湯で消毒してインスリン注射をし、晩酌には必ずウィスキーを楽しんでいた。今から考えると適正体重を維持した 2 型糖尿病管理の優等生で、さしたる合併症もなく美唄市の市政に精力的に携わっていたが、81 歳のとき心筋梗塞で他界した。叔父は内科医で 50 歳台からメタボ型の 2 型糖尿病だったが、多忙を理由に糖尿病管理は劣等生。従って私にとって「糖尿病」はいつも身近な疾患であった。

1945年頃 母の実家にて : 前列右から 4 人目が母に抱かれた筆者

 私は医師になってそろそろ 50 年を迎えようとしているが、働く女性とジェンダーについて初めて考えるきっかけになったのは、1970年代に日本で一世を風靡した シモーヌ ド ボーヴォワール の「第二の性」ではなかったかと思う。この本の中の一節はとても衝撃的であった。「法律・制度・風俗・世論その他あらゆる社会全体をかえれば、男女が本当に同等のものになれるだろうか?……こういう考えは、今日の女が自然によって作られたものだということを認めているのだ。」しかし「人間の社会では何一つ自然ではないし、特に女は文明が次第に作り上げたものなのである。」(生島遼一 訳)

 原始時代にあって、やがて家父長制へと移行した母権制という女性の天下、女性の黄金時代は実は神話に過ぎないと彼女は言う。とすると何千年にもなる男性支配的な人間の歴史の中で、たかだか半世紀にもみたない人間の意識、社会改革の結果を、ここで過小評価も過大評価もできるわけがない。

 今、大学の内外を見渡しても、増えてきたとはいえまだまだ女性の姿が少ない。まして指導的立場にある女性の数は驚くほど限られている。特に、諸外国と比較すると日本における男女格差は歴然としている。しかし、これらの数字は日本で男女共学が始まり、知的職業における男女間の壁が徐々に取り外されてようやく半世紀を過ぎたという現在の状況を示すものに過ぎない。ダボス会議で毎年報告される男女格差に関する指数は、日本は例年下位を低迷しており、これを改善するための国を挙げての努力は続いているが道のりはまだ遠い。

 社会的に活躍する女性医師にとって前途に立ちはだかる「性別」に基づく壁や目に見えないガラスの天井を感じることは、まだ少なくないだろう。これらは、少しずつ薄く、高く位置するようになってきたとはいえ、みなで心を合わせてたたけば壊れるものとは違う。女性医師がそれぞれの職場で、それぞれの立場で真摯に活動を続け、責任ある行動をとることが欠かせないのではなかろうか。サポートしてくださる方々、理解ある上司や同僚への感謝の気持ちも忘れてはならない。そして、気が付いたらガラスの天井を潜り抜けていた、という生き方が薦められるように思う。少なくとも、私は、これからもそういう生き方を続け、糖尿病診療に携わっていきたいと願っている。

更新:2018年5月2日

※所属は掲載当時のものです

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