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それぞれのストーリー

大森 安恵(Yasue Omori)

大森 安恵(Yasue Omori)

私の歩いてきた一筋の道

所属

海老名総合病院 糖尿病センター長(東京女子医科大学 名誉教授)

 2015年4月、北海道旭川で「Management of Diabetic Women」という勉強会があり、「糖尿病合併妊娠と妊娠糖尿病の違い」という講義に招かれた。座長の安孫子 亜津子 先生から本コーナーへの寄稿のお話があり、自分についての記述は少々品が無いようにも思われたが、何かお役に立つ事があればと思いお受けした。

 私は高知県の無医村に生まれ、幼時から「この子が医者に成る子かよ」と言われながら育ったので、医師になる事に何の迷いも無く1956年 東京女子医科大学を卒業した。専門性を身につけたいと思い、当時既に糖尿病学で名を馳せていた中山 光重 教授の第2内科に入局し、すぐに糖尿病の臨床と研究が始まった。「ステロイド糖尿病の成因に関する研究」が学位のテーマで、夜中の12時前に家に帰る事は滅多に無かった。
 偶然に出会った結婚の相手が海のものとも山のものとも解らない貧乏な青二才で、しかも医師でなかったため、父親の失望と怒りは「もう子と思わないから、親と思ってくれるな」という厳しい宣告であった。しかし青二才は「貧乏であっても精神は貴族です」と言い、私達は結婚した。卒後3年目であった。

 主人は私を通して「医師」を知るので、女医を理解してもらう使命感を持ち夫に対する初期教育を行い、家事は便所掃除以外すべて協力して頂いた。無給医局員で、新人医師としての研修、日常臨床業務、その上兎を使った実験が毎日続く辛い時に妊娠してしまった。「安産ですよ」といわれ乍ら、微弱陣痛のため死産であった。自分の分身喪失の悲しみは想像以上であり、妊娠した時、喜びより困惑が強く自然流産を願っていたので、その罪悪感と悲嘆の深さは筆舌に尽くせない。
 そんな時、妊娠中糖尿病の診断もされず、子宮内胎児死亡で打ち拉がれた患者さんが続け様2人私の受持になった。1962年の事である。1950年代は「糖尿病があると危険だから妊娠してはいけない」いう不文律が、医療界一般の常識であり、私もそう教えられていた。思いがけない死産という患者さんとの悲しみの共有は「糖尿病と妊娠」に目覚める動機付けになった。勉強してみると、欧米では1921年のインスリン発見からその歴史は始まっており、文献も無数にある事が解った。
 子供を亡くした本当の悲しみや苦しみは男性に解る筈がない。女性の問題は女性が解決すべきであると考えるようになり、糖尿病と妊娠のテーマを自分のライフワークにしようと決心した。血糖コントロールを良くすれば、糖尿病があっても妊娠は可能であると、キャンペーンを張ったら日本全国から子供が欲しいと患者さんが東京女子医科大学病院に大勢集まるようになった。

「糖尿病と妊娠の医学 糖尿病妊婦治療の歴史と展望」著:大森 安惠(文光堂, 2013年)
糖尿病と妊娠の医学
糖尿病妊婦治療の歴史と展望
著:大森 安惠(文光堂, 2013年)

 東京女子医科大学病院で初めて糖尿病妊婦分娩例を経験したのは、1964年2月の事である。彼女は日本に於ける、リリーインスリン50年賞の第一回受賞者にも輝いている。日本には患者さん、先輩、友人を含め恩師が沢山いるが、糖尿病と妊娠について教えて下さるメンターはいなかった。私はその後子供が二人もいたが留学をした。その時、主人は「行っても良いけれど、帰ってこなくてもいい」とまで言ったが、学問のためには怯まなかった。短期間故黙々と研究をし、英語力は行きも帰りも全く同じレベルで上達はなかった。デンマークの Pedersenn 教授に師事出来、ヨーロッパ糖尿病学会の Diabetes Pregnancy Study Group (DPSG) で毎年発表の機会を与えられ、ついに会員にさせて頂けた。英語が上手でない事が益して却って友人や知人が沢山出来、糖尿病と妊娠に関する交流が深まった。
 此れを機に日本に DPSG を設立、更にそれを日本糖尿病・妊娠学会に変革して、一般社会への知識普及、糖尿病患者さんを幸せにする一助に貢献する事も出来たように思う。1982年日本糖尿病学会に「妊娠」のセッションを作って頂いたのも欧米から学んだ事であった。

 私の体内で胎動しながら夜空の星になってしまった愛しい我が子は、死をもって私に糖尿病と妊娠の大切な道を啓示したといえる。
 女性で初めて年次学術集会 会長(第40回)になった事や、Unite for Diabetes のため国連でのスピーチなども書かねばならないが、1,600字で60年の糖尿病人生から習得した哲学を、お伝えする事はむつかしい。凝縮すると次のようになる。

  1. どの社会でも男女共存共栄によってより発展すると思う。
  2. 日進月歩の医学に付いて行くには一刻も休む事はできない。育休を取っていては追いついていけない。
  3. そのためには家事労働も分担出来る男性の意識革命と24時間支援の保育所設置を早急に実現する事であろう。

更新:2015年6月22日

※所属は掲載当時のものです

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