The Japan Diabetes Society

JapaneseEnglish
一般の方へ

竹本 のぞみ (たけもと のぞみ)先生

竹本 のぞみ (たけもと のぞみ)先生

― 1型糖尿病になっても ―
2019年 12月 掲載
所属:

国立療養所 沖縄愛楽園 内科医師
琉球大学大学院 医学研究科 代謝内分泌・血液・膠原病内科学講座(第二内科)

自己紹介:

福井県生まれ、小中高は茨城県、大学は島根県

2009年
島根大学 医学部卒業し、沖縄県立中部病院にて初期研修開始
2011年
沖縄県立中部病院にて内科後期研修開始
2012年
沖縄県立北部病院 内科勤務、結婚
2013年
琉球大学大学院 医学研究科 代謝内分泌・血液・膠原病内科学講座(第二内科)入局
2015年
第一子出産(専門医取得期間を考慮し産後4か月で復職)
2017年
第二子出産(夫の転職にて産後4か月で復職)、糖尿病専門医取得。フリーランスへ
2018年
琉球大学大学院 医学研究科 大学院に入学
2019年
国立療養所 沖縄愛楽園勤務
一日のスケジュール:
6:00頃
起床(お弁当の日は 4時半 : 月2回)
7:00-7:30
子供達と一緒に出勤
8:30-9:00
次女を保育園、長女を幼稚園に届けてから、職場に到着
9:00-17:00
外来業務や研究など
17:00-
子供達のお迎え
18:00頃
帰宅し、夕食準備、出来次第食事
/18:20頃 夫の1回目の帰宅
19:00
子供達の入浴は夫にお願いしています
(子供達と一緒に入ると、低血糖になるため)
20:00
子供達の寝かせ付け(私は、毎日寝落ち)
/夫は再び職場へ
22:00-24:00頃
起きて、洗濯や翌日の準備、自分の時間
/夫の2回目の帰宅
2:00-3:00頃
再び就寝
*週に1回当直があり、その日は全て夫に任せています
糖尿病医を専攻した理由:

初期研修2年目の夏に1型糖尿病を発症しました。私が研修していた病院には糖尿病専門医がおらず、カーボカウントやインスリンポンプ療法なども全く教わらず、ペンでのインスリン固定打ちを指示されていました。病院の中のキッチンのない居住スペースに住んでいたため、ちゃんとした食事は摂れていませんでした。今思うと低血糖の症状だと思いますが、朝回診の後半に気分が悪くなることが多く、他の研修医と比較して何もできない自分が嫌になり、医者を続けられるか心配でした。1型糖尿病を発症して半年以上経った時、研修病院の先輩でもあり、糖尿病専門医を取得され開業されている砂川博司先生(沖縄県うるま市にある すながわ内科)の所へセカンドオピニオンを勧められました。砂川先生の奥様である砂川裕佐子事務長に南昌江先生のことを教えていただき、『わたし糖尿病なの』という本をいただきました。そして、「あなたしかできないことがある」と言って糖尿病内科への道を勧められました。私が自分自身の医者になってしまうのが嫌で糖尿病内科への道を進むのを迷った時もありますが、医者であるのに自分の病気が全く分からないほうが恥ずかしいと思い、卒後5年目にして糖尿病専門医を目指し、益崎裕章教授の教室に入局しました。

プライベート:

糖尿病になってから、夫と出会い、結婚しました。不妊治療の末、二人の子供を授かることも出来ました。不妊治療中と妊娠中は、CSII/SAP療法で血糖コントロールしていましたが、現在は、MDI療法にて血糖コントロールしています。日々の生活の血糖値の変動から、インスリンの作用と食事や運動の影響を日々勉強しています。

また、黒田暁生先生・南昌江先生・山下滋雄先生が立ち上げた、1型糖尿病かつ内科または小児科医からなるDT1Dという会に参加させていただいています。年に数回集まったり、MLで情報交換を行ったりしています。近場では、20~50代からなる沖縄県在住の女性1型糖尿病患者のLINEグループに参加して、LINEで糖尿病に関する情報交換したり、実際に会ってお互いの悩みを相談したりしています。

竹本 のぞみ 先生
2019年度日本糖尿学会年次学術集会後のDT1Dの集まりにて
:筆者は前列左から3番目
竹本 のぞみ 先生
琉球大学 再生医学講座 野口先生と1型糖尿病患者との食事会

また、沖縄県にはリゾートホテルが多いため、ホテルランチビュッフェやエステ、観光シーズンでなければ格安で宿泊もできるため家族で旅行気分も味わえます。米軍基地もあるため、基地の中のレストランや基地近くのカフェにいると異国を感じることもできます。子供たちがもう少し大きくなったら、台湾や香港も近いため、週末を利用して海外旅行したいなとも思っています。

キャリアと子育て:

私の家族には医療関係者がいないため、医者に関して、テレビなどで得られるイメージかしありませんでした。また、学生時代に、『女性医師の生き方』という本を読み、子供も産んでキラキラと働いている女性医師を全く想像できませんでした。しかし、医学部5年生の時に、世界女医学会会長を務められた故・平敷敦子先生の講義を聴講して、キラキラしている女性医師はいると衝撃を受けました。平敷先生は何も見ずに講義を行い、講義は自信に溢れる内容が多く、また時間通りに講義を終了しました。すべての所作が恰好よく、今より女性医師が少ない時代にも関わらず子供も育てながら教授にもなられ、当時趣味の社交ダンスも楽しんでおられ、まさにキラキラしていました。私も平敷先生のように、キラキラとはいかなくても、子供を産んでも続けられるためには、どうしたら良いのかと考え、家族の近くで結婚して子供を育てようと思い、沖縄県での初期研修を決めました。自己紹介にもあるように、大学卒後まで沖縄県に住んだことはありませんでしたが、母が沖縄県出身で、当時すでに祖母の介護のため母のみ沖縄県に住んでいました。現在は、父も定年退職を迎え沖縄県に住んでいます。どうしても仕事が休めない日などは実家に子供を預けています。私の当初の予定では、沖縄県の方と結婚して、夫の両親も頼ろうと思っていましたが、夫が東京都出身のため、学会や勉強会で子供達と東京近郊に行った際に夫の実家にお世話になろうと思っています。シッターや家事代行サービスなどを利用している女医さんも多いですが、実家や私と夫の職場の理解・協力のおかげで今のところ利用せずに済んでいます。

私が所属している琉球大学第二内科代謝内分泌グループは、子供のお迎えや夕食作りをしているイクメンな男性医師が多いため、育休や子供が熱を出した時なども休みを取ることを言い出しやすかったです。また、第2子出産後、育児も仕事も中途半端で自分が嫌になったときもありましたが、フリーランスとして医局が持っている外勤枠で働くことに理解を示していただけた益崎先生には感謝しています。1年弱フリーランスとして働き、経済的安定を保ちつつ、時間的余裕ができました。

また沖縄県は、兄弟3-6人など子供が多く、働いている女性も多いため、子育てがしやすいと思います。保育園に通院のため子供を早く迎えに行くと、「お母さんも大変だね。受診頑張ってね」など声掛けしてもらえたり、スーパーのレジで子供が泣いていると、後ろに並んでいるおばさん達はもちろん、男子高校生があやしてくれたりすることもあります。夫の今の職場は、17時に子供を幼稚園にお迎えに行って終了時間まで一緒に職場で過ごすことや、土日に子供連れで出勤することも容認してくれています。沖縄県は離婚率も高いため、シングルで子育てしている方も多く、サポートも手厚いと思います。

現在感じていること:

子供も産むまでは、学生教育や後輩育成など、あまり興味がありませんでした。自分が如何にSkill-Upするかなどキャリア形成を重要視していました。しかし不思議なことで、子育てを通して、次世代にどうつなげるかを考えるようになりました。子供たちの世話も一時より楽になったため、指導医取得を目指しています。

メッセージ:

まだ医師歴10年ですが、辞めずに続けたことで、今の自分が「キラリ☆女性医師!」へ投稿できることを嬉しく思います。私がキラリ女性医師として働けているのは、私の意思はもちろん、それをサポートしてくれる、夫や実家・同僚・地域の人々がいるおかげです。

糖尿病になった時や第一子と第二子を産んだ後に、医者を続けられる自信が無くなったときもありました。その度に、「なぜ医学部を目指したのか?」「なぜ糖尿病専門医になろうとしたのか?」と原点回帰しています。

更新:2019年12月10日